桜が舞う風景を見ると、今でも思い出すことがあります。
それはもう、20年以上も前のことです。
その頃、私は大学生で、中学生を相手に家庭教師のアルバイトをしていました。
中学2年生の男子生徒を教えていたのですが、その彼のことを思い出すのです。
今考えると、恐らく、彼はコミュニケーションに何らかの障がいを抱えている様でした。
学校や塾など、集団の中で話をしたり、うまく立ち回ることが苦手なのです。
そのこと自体で、私自身が困ったことは全く無くて、むしろ彼自身が頑張って、私とコミュニケーションをとってくれていたと思います。
彼とは、およそ1年半、家庭教師と教え子という立場で過ごしました。
今回は、桜の花が咲く頃に思い出す、昔、家庭教師をしていた「教え子」との約束について、ご紹介します。
※実話ですが、本人が特定できない様に少しずつ脚色しています。
【桜の花が咲く頃】昔、家庭教師をしていた「教え子」との約束
春休み〜家庭教師採用まで
私が大学2年生から3年生に上がる頃、現在でもテレビでCMを流している大手の家庭教師の会社に登録しました。
それまで塾講師のアルバイトをしていましたが、その塾自体が閉鎖となり、「とりあえず家庭教師でも」といった軽い気持ちで登録したと記憶しています。
確か、登録の前には、面接と簡単な筆記試験をやらされたと思います。
「採用になったら、いつから働ける?」と面接官に言われ、「今日からでも」と言うと、笑われました。
でも、それが採用の決め手だったのかもしれません。
そうして次の日には採用の電話連絡が入り、「採用したいんだけど、本当にすぐ行ける?」とそこでも聞かれました。
私はバイト先がなくなったばかりだったので、全く問題はありませんでした。
大学はまだ春休みで、暇でしたし、その日のうちに家庭教師会社の事務所に出向き、採用の書類等にサインをしました。
そして、その場で、派遣先の住所と連絡先を渡され、教え子は中学2年生の男子だと告げられました。
それから、英語と数学のテキストを本人用と、答えの書き込まれた教師用の2種類をそれぞれ手渡されました。
教え子T君のこと
教えられた住所に、指定された時間に向かうと、そこは美容室でした。
若い女性が予約して来る様なキラキラした美容室ではなく、昔からやっている街の小さなヘアーサロンといった感じでした。
仕方なくお店の入り口から入ると、「いらっしゃいませ!」と40歳代くらいの女性から声をかけられました。
その女性が私の顔を見ると「あ!」と言う顔をして、「先生ですね!」と言いました。
ご挨拶をすると、店の中を通り抜けて、奥にある自宅スペースの方へ通されました。
座敷でお茶を出していただき、教え子となるT君が、中学校から帰ってくるのを待つことになりました。
そこで、お母さんからT君について、説明を受けることになりました。
「少し前に、塾に申し込んだものの、本人が馴染めなくてすぐに行けなくなった。」
「集団が苦手なので、家庭教師なら大丈夫と思う。」
「一人っ子だし、私は(美容室)仕事をしているので、外に遊びにも行かず、大人しくここにいることが多い」
「でも、もし本人が続けられないと言った場合は、申し訳ないがすぐにやめるかもしれない」
「普段はあまり喋らないが、『勉強したい』ということは、本人から言い出した。」
そういうことを、言われました。
その時点で、T君について、神経質そうで、無口で引っ込み思案な、なかなか扱いの難しい中学生をイメージしました。
そうしている間に、T君が帰宅しました。
T君と初対面
「ただいま」も言わずに、座敷の引き戸をガラッと開けて、T君が顔を出しました。
恐らく私がそこにいるとは思っていなかった様で、少しびっくりした反応でした。
それでも、T君は、ぺこりとお辞儀して「よろしくお願いします」と早口で言いました。
恐らく、近いうちに家庭教師が来ることは理解していたのだと思います。
中学生男子のぶっきらぼうな感じはありますが、事前に思い浮かべたイメージとは少し違い、素直そうな感じでした。
また、身長はそれほど高くないものの、むしろ活発な印象を持ちました。
考えてみれば、自分自身の中学生時代にも、ほとんど親と口を聞かなかった様に思います。
顔合わせが済んで、その次の週から、早速2人だけの授業が始まることになりました。
T君との授業
毎週2時間の授業は、英語と数学を半分ずつ、家庭教師会社から渡されたテキストを基に進めました。
意外と、と言っては失礼ながら、T君は勉強ができないわけではありませんでした。
むしろ、クラスの中では、「できる方」のグループだったと思います。
一応、1年生の頃の成績表を見せてもらいましたが、5段階評価で平均で4は超えていました。
強いて言えば、若干英語が苦手かな?と言う程度でした。
そういったことから、成績が悪くて勉強せざるを得ないわけではなく、T君自身に何か目標があるということはすぐにわかりました。
でも、自分からそれを聞き出すのは控えていました。
お母さんも知らないことでしたし、何よりT君がまだ私に対して緊張していることがヒシヒシと伝わってきたからです。
毎回の授業は、彼の理解力や集中力でハイペースで進みました。
テキストの内容は学校の授業の進度を、とっくに追い越してどんどん進みました。
おかげで、2年生の最初の中間試験の対策も、独自に時間が取れました。
結果として、彼の中間試験の結果はこれまでよりもさらに上昇していました。
私の力ではなく、T君自身の元から持っている学力ということは明らかでしたが、お母さんはとても喜んでくれました。
その後も、T君の成績は、みるみる上がりました。
私自身もやりがいを感じていましたし、T君本人も自信をつけて行ったようです。
その辺りから、T君は少しずつ、私と勉強以外の会話も交わせる様になってきました。
学校のこと、数少ない友達とクラスが分かれてしまったこと、お父さんはT君が小学生の頃亡くなっていること、など、彼から話してくれました。
こちらから焦って根掘り葉掘り聞き出さない様に、それだけは注意をしていました。
夏休みになる頃、お母さんと相談しました。
家庭教師会社を挟まずに、直接私と契約していただくことで、支払っている月謝はそのままで、現在の週1回の授業を2回に増やすことを提案しました。
(もう時効ということで、ご容赦ください)
お母さんは大変喜んでくれました。
息子の成績が上がっていることもそうですし、なかなか他人と打ち解けないT君が、家庭教師の私が来る日を楽しみにしてくれている、ということも、聞きました。
そして早速、お母さんから家庭教師会社に私の契約終了の連絡を入れていただくことになりました。
それまで家庭教師会社に支払っていた月謝をそのまま私に手渡しいただき、次の週から、授業を週2回に増やしました。
また、英語と数学だけでなく、他の教科も面倒を見ることになりました。
時間が増えたことで、勉強のスピードはさらに加速し、2年生の2学期の途中くらいから、もう3年生の勉強を始められました。
2年生が終わり、いよいよT君は受験生になる学年です。
その頃には、かなり打ち解けていて、好きな漫画の話やお店での面白いエピソード、おじいちゃんやおばあちゃんの話など、色々な話をしてくれました。
一人っ子のT君にとっては、私は、年上の友達の様な、兄の様な存在だったのかもしれません。
ただ、彼の目標について、いまだに聞くことができていませんでした。
高校の志望校すら聞いていませんでした。
3年生になる前の、ちょうど良いタイミングと思い、T君の目標について話してもらうことを決めました。
「いよいよ受験生になるけれど、T君は、高校についてどう考えてる?志望校は決めてるの?」
T君は、少しだけ困った顔をした後、黙り込んでしまいました。
「ああ、まずいこと聞いたかな?」と思い、ドキドキしていると、やがてT君は意を決した様に答えました。
「僕、高校には、行きたくないんです」
T君の志望校
高校に行きたくない、ということは、美容室を継ぐつもりかな?と一瞬思いました。
でも、それは違いました。
「お母さんには内緒にしてもらえますか?」と言って、彼が目標を語ってくれました。
それは「高専に行きたい」というものでした。
高専とは「高等専門学校」の略で、3年間ではなく、4(5)年間の課程で、主に工学・技術・商船系の専門教育を受ける学校です。
いわゆる私立の「専門学校」とは違います。
国立や現在は独立行政法人で、実践的技術者を養成することを目的にした教育機関で、入学試験のレベルも高い学校です。
彼が行きたいのは電気技術系の高専でした。
NHKでたまに放送される「ロボットコンテスト」に出場している賢そうな学生たちは高専生が多いです。
実は、亡くなったお父さんは電気技術者で、そんな仕事をするのが、彼の夢だったのでした。
ただ、何故お母さんに内緒なのかわかりませんでしたが、それも判明しました。
「僕が高専に行くと、お母さん一人になっちゃうから」
彼の目指す高専は自宅のある隣の県にあり、近隣に住んでいない限り、基本は寮住まいとなります。
一人っ子のT君が家を出て行ってしまった後の、お母さんのことを心配していたのでした。
家庭教師として、T君のためにできること
そんなお母さん想いなT君の夢や目標を聞いて、私自身は、2つのことを思いました。
1つ目は、このことをできるだけ早くお母さんに言わないといけないということです。
志望校について、県内の高校はともかく、高専で、ましてや県外で寮暮らしまでは想像もしていないと思います。
いずれにしても、学校にも志望校調査もあるでしょうし、遅かれ早かれ言わないといけません。
まず許してくれるのか、大きな関門です。
できれば、T君がお母さんにそのことを打ち明ける場に、一緒にいてあげたいと思いました。
そして2つ目は、このまま私が家庭教師を続けて良いのかということです。
中学校の授業に追いつく程度の勉強を教えることはできましたが、受験、となるとテクニックや経験が必要だと思いました。
ましてや、私自身受験経験のない「高専」については、完全に教える自信がありませんでした。
ここまできて、投げ出してしまう様ですが、ちゃんと受験ノウハウを持った塾に通ってもらった方が、T君のためだと思いました。
この2つのことを、T君と率直に話し合いました。
お母さんに志望校について話をしないといけないことは、彼にも十分わかっていました。
そしてT君は、「先生に頼ってしまうので、お母さんには自分一人で言ってみる」と宣言しました。
それを聞いて、目頭がじわっと熱くなりました。
1年で、こんなにしっかりするんだなぁと感心しました。
そして、私自身の弱音を吐きました。
今考えると、ひどい話です。
T君の合格に責任が持てないから、投げ出すと言っているのと同じです。
そのことについては、T君はとても動揺している様に見えました。
とても申し訳ない気持ちになりました。
本当に「ひどい先生」です。
そして、次の週までに、T君自身がお母さんとちゃんと話をする、ということで、その日の話は終わりました。
家庭教師の終わり
次の週に、いつもT君一人が待っている勉強部屋となる座敷に、お母さんも一緒に座っていました。
「ああ、T君、志望校のことお母さんに言えたんだな」と少し安心しました。
意外にも、お母さんは、とても明るく話し始めました。
「息子から志望校のこと、聞きました。びっくりしましたけれど、頑張らせてみようと思います」
「高専を目指すと言うことですよね?」と念のため確認しました。
お母さんはすっきりした感じで、答えました。
「そうですね。
この子の父親も電気関係の仕事をしていましたので、興味があるんでしょうね。
応援したいと思います。」
T君は、お母さんの隣で、どこか誇らしそうな表情をしていました。
それを見て、さらに私は嬉しくなりました。
ただ、お母さんが次に言った言葉を聞き、私は覚悟をしないといけませんでした。
「高専って、受験、難しいですよね?」
そうです。私では、力不足です。
「高専を受験するためには専門のノウハウのある塾に行ったもらった方が良いです。」と素直にお願いしました。
それについて、お母さんはT君と既に話し合っていた様で、「3年生の1学期まで面倒を見て欲しい」とのことでした。
確かに、あと数ヶ月あれば、中学3年生までの残りの授業分は全て終わらせることはできます。
そして、夏休みから塾に行くということでした。
願ってもないことで、ありがたくその提案を承諾しました。
そうして、私の家庭教師という立場は、夏休みの前までと決まったのです。
T君との約束
志望校や目標が決まったT君は、それまで以上に頑張っていました。
お母さんが、町内の集まりなどで夜に出かける用事がある時は、T君と一緒に食事をいただいて帰ることもありました。
その時には、もっと色々な話をしました。
お父さんについて覚えていることや、自分が何故電気技師になりたいか、たくさんのことを教えてくれました。
また、私のことについても、中学や高校時代にどんな部活に入っていたか、兄弟や家族について、実家のある場所のことなどについて聞きたがりました。
そんな中で、唯一私が答えられていない質問がありました。
「先生は将来、何がしたいの?夢は何?」
その質問には、毎回言葉を濁してしまいました。
そして、苦し紛れに「T君が高専に受かったら、教えるよ!」と言いました。
あっという間に、契約終了の夏休み前となりました。
最後の授業を終えて、T君はお母さんと私を見送ってくれました。
そこでもT君は、「高専に受かったら、教えてくれるんだよね?」と確認してきました。
「もちろん!」と答えて、別れました。
たいした先生ではなかったけれど、私の「家庭教師」という立場が、その日、終わりました。
合格発表
夏休みからT君は受験のための塾に通いました。
私は、その後知り合いの地鶏料理店でバイトをしていました。
塾や家庭教師のバイトは一切していません。
そのため、私が「最後の教え子」と呼べるのはT君です。
受験前には、合格祈願のお守りなどを持って行って、一度だけT君に会いました。
たった半年ほどで、かなり凛々しい顔つきになった様に見えました。
受験の日程は、「高専」を先に受けて、その後、他の受験生と一緒に、地元の県立高校を受けるという流れになります。
つまり、まずは高専に受かってしまえば、受験が早々に終われるのです。
受験が終わり、いよいよ高専の合格発表の日となりました。
合否については、T君から連絡をもらえることになっていました。
ところが、夕方になってもなかなか連絡は来ませんでした。
こちらから連絡するわけにも行かず、そのまま夜まで待ちました。
結局、電話が鳴ったのは、次の日の朝のことでした。
もちろん、T君の声でした。
「先生、遅くなってごめん」
結果は、
不合格でした。。。
その後は、自分のことの様に落ち込みました。
それでも、T君はちゃんと自分で立ち直り、地元の県立高校には見事に合格しました。
春からT君は高校生に、私は大学4年生になりました。
桜の花が咲く頃に
4月になり、桜の花びらが舞う中で、1通の手紙が届きました。
それはT君からの手紙でした。
そこには、以前の家庭教師のお礼と、高専に合格できなかったお詫びが書かれていました。
私は何も力になれなかったので、本当に申し訳ない気持ちでした。
そして、最後に、こう書かれていました。
「来年、もう一回、高専を受験をします。
合格したら、今度こそ先生の夢を教えてください。」
自分の「教え子」だった少年が、こんなに凄いことを考えていること自体、本当に誇らしく思いました。
ダメな家庭教師でしたが、「教え子」は素晴らしかったと胸を張れます
それから私は大学を卒業し、就職して、県外遠くに住むことになりました。
残念なことに、T君とはその後2度と会うことができませんでした。
ただ、T君は次の年に本当に高専を再受験します。
そして、見事に合格したのです。
果たせなかった約束/私の夢について
「先生は将来何をしたいの?夢は何?」
そのT君の質問に答えるという約束を果たせませんでした。
最後まで言えなかった理由は、全部自分にあります。
まず、実力や、覚悟が足りなかったし、そもそも大した努力もしていませんでした。
それに、あれほど「しっかりとした目標」を持ったT君に、自分の「甘い目標」のことを話すのは、とても恥ずかしかったのです。
もちろん、今現在、実際にその仕事はできていません。
私は、「物書き」になりたかったのです。
小説家や、新聞、雑誌など、どんな媒体でも良いので、何か文章を書いて発信する仕事をしたいと思っていました。
何より、自分自身が「絶対にできるわけがない」と思う淡い夢だったので、T君に素直に話すことができませんでした。
本当に申し訳なくて、今でも後悔しています。
けれども、20年以上経った今、私はブログを書いてます。
そんなに誇れることではないかもしれないけれど、T君に読んでもらっても恥ずかしくないことを書こうと心がけています。
誰かの悪口や批判、汚い言葉などは、絶対に書かないと決めています。
どこかで、今はきっと立派な大人になったT君が、
もしかしたら読んでくれているかも知れません。
そう思って、今でも文章を書いています。
こんな記事も書いてます。
読者登録いただける方は、是非こちらをお願いします。