こんにちは、あとかです♪
皆さんは、「土地」って持ってらっしゃいますか?
持ち家の方など、自分で土地を買われた方もいらっしゃると思います。
一方で、相続という形で土地を所有したという方も多いでしょう。
今回は自分に降りかかったことを、記録として、書いておきたいと思います。
プロローグ 〜最近のこと〜
ある日、帰宅すると、奥さんに私宛に封書が届いていると言われました。
その封筒には、とある九州の町役場の名前が印刷されていました。
とある町と書きましたが、知らない町ではありません。
住んだことはありませんが、自分の父の実家、祖父母の家があった場所でした。
仮に「T町」と呼びます。
最初にその封筒を見たとき、正直「うわ!めんどくさっ!」と思いました。
だいたい、こういった封書が届く時は、碌な事がないのです。
別に、T町が悪いのではありません。
これまで、こういった公的機関から届いた封書は、碌なことがなかったからです。
T町の話
T町は、九州のとある県にある町で、はっきり言えば田舎です。
私が子供時代、比較的都会に住んでいた私は、典型的な夏休みを過ごせた思い出の場所です。
山にカブトムシを取りに行ったり、海で泳いだりできると言うのはここで経験できました。
私の父の父、つまり実の祖父は、そのT町で助役をしてたこともあり、田舎のT町では、そこそこの名士と呼ばれる人でした。
もともと武士の家系らしいのですが、明治維新の立ち回りでうまくいかず、江戸末期くらいに、今のT町に落ち着いたそうです。
田舎とは言え、それでも腐っても武士の家系というのは、お年寄りたちには、それなりに自負があったようです。
私は長男だったこともあり、祖父からは「世が世なら、お前が家督を継ぐ後継じゃ」と、幼い頃から言われていました。
もちろん、現代はそんな世の中ではありませんが、そういった歴史があるせいか、祖父はT町のあちこちに土地を持っていました。
そう言うと、羽振りがよく聞こえますが、T町自体が田舎ですし、使えるような土地はほとんどありません。
「山」、「林」、「森」という括りの土地ばかりです。
30年ほど前に、そんな祖父が亡くなり、15年前に私の父が比較的若く亡くなりました。
実はその時点で祖母は存命で元気だったのですが、息子に先立たれたショックもあったのか、その後、すぐに亡くなりました。
わずか、1週間の間に、実の父と祖母の葬式を挙げることになりました。
そこから、ちょっとした面倒は始まるのです。
お気楽に「相続」した土地
父と、祖母の葬式が終わり、しばらくした頃、母から封書が届きました。
中には数冊の薄いのノート状のものが入っていました。
表紙には「登記済権利証書」と書いてありました。
いわゆる「土地の権利書」でした。
母に確認すると、祖母の持っていた土地が、相続されたと言うことでした。
祖母はかなりきっちりした人で、自分が亡くなった時に、誰も困らないように、かなり万全な準備をしていたそうです。
葬式の取り仕切りや、お墓の管理者など、誰に連絡したら良いか、印鑑や通帳など大事なもののありかや、その後どう処理すれば良いかなど、書き残してありました。
祖母は、葬式で使う自分の写真まで、抜かりなく用意していました。
そんな祖母ですから、残った者達が、相続で揉めたりしないように、財産の分与も細かく遺言書に残していたのです。
唯一の誤算が、まさか自分より先に息子が逝くとは、夢にも思っていなかったことです。
それでも、相続自体は特に揉めることなく、叔母から渡された私名義に変更済みの権利書を転送してきたのです。
「まあ、もらえるものは貰っておこう」くらいの気持ちでした。
そもそも、権利書に書かれている住所では、どこの事やらさっぱりわかりませんでした。
田舎特有の事情ですが、地名に「〇〇郡 T町大字▲▲字×× 1234番地」と書かれていても、1234番地がめちゃめちゃ広いのです。
まだ平地で、田畑、商業地、分譲地などであれば、地図で見て、細かくわかると思いますが、私が相続したのは「山林」でした。
山の中に線なんか引いてないのです。
結局、T町に住むことはないし、売ったりもできないだろうけど、権利書くらいなら、「邪魔にはならないだろう」と思って、封筒に入れたまま、棚にしまい込みました。
後に、「邪魔」に思うことになるのですが、その頃は知る由もありません。
1通目の封筒:東京の地方裁判所から
父が亡くなって、数年後、伯父が亡くなりました。
私の父は次男で、上に長男、下に長女の3人兄妹でした。
私からすると伯父、叔母にあたります。
伯父は亡くなりましたが、私は葬式には出ていません。
仲が悪いというわけではありませんでしたが、元々、祖父母の家で子供の頃に、稀に会ったことがあるくらいしか繋がりがなかったのです。
伯父が亡くなったことは、唯一葬式に出席した叔母から、後に母を経由して、連絡がありました。
伯父は、子供の頃から、とても優秀な方だったそうで、田舎のT町では「神童」と言われるほどの秀才でした。
周囲からも東京大学に進学すると信じられていて、現役では失敗したものの、東京で下宿し、浪人することになりました。
「田舎者が都会に出て、身を崩す」という、典型的なパターンだったようです。
飲み屋の女性と深い中になり、予備校にもほとんど行かなくなり、進学をあきらめました。
その女性には離婚歴があり、幼い子供がいました。
伯父は、そのまま夜の仕事をして生活し、その女性と生涯を共にしたのですが、結局、籍は入れなかったようです。
つまり、その女性は、「内縁の妻」という存在でした。
そのため、伯父が亡くなった時には東京で葬式が、その女性を喪主に執り行われました。
その話を母から聞いて、しばらく経った日、封筒が届きました。
それは、東京のとある地方裁判所からの封書でした。
要するところ、伯父の「内縁の妻」の女性が、訴訟を起こしていると言う内容でした。
伯父は、きっちりとしていた祖母と違い、財産分与などのことを何も残していませんでした。
そのため、伯父の財産が法定相続権で言うと、私と叔母にもあるため、その女性が放棄してほしいと言うことでした。
実際には、「異議申し立てがあれば、裁判所に来い。なければスルーしろ」みたいな内容でした。
私は、当然、スルーしました。
伯父とは言え、そこまで親しいわけでもない人の、何があるかも知らない財産について、知らない女性から裁判に呼ばれると言う話は、現実感は皆無でした。
このこと自体は、これで終わりました。
自分の知らない、自分のいない場所で、自分の名前が登場する、おそらく民事訴訟が行われているのは、なんだか不思議でした。
2通目の封筒:T町のある県の裁判所から
そんなことも忘れかけていた頃、またもや裁判所から、今度は分厚い封筒が届きました。
それは、T町がある県の地方裁判所からでした。
封筒の中には、少年ジャンプ2冊分くらいの暑さの書類が入っていました。
1番上は別紙になっていて、「口頭弁論期日呼出状及び答弁書催告状」と書かれていました。
ぶあつい冊子状のものの表紙には「訴状」と書かれていました。
別紙の方には、丁寧に「あなたは、民事訴訟の『被告』にはなっていますけど、刑事裁判のそれとは意味合いが違うから、安心してね!」と言う意味の注意書きもありました。
大げさな書類ではありますが、要するに、また、「異議があれば裁判所に来なさい。どうでも良いならスルーしてね」と言うことでした。
ただ、今回の被告が私を含む367人もいて、その全員分の相続関係が書かれていました。
それで、こんな分厚さになったのでした。
訴状の内容は、私名義分を含む367人分の土地を、ある管理組合の土地として名義を変更させてください、ということでした。
どこの土地で、何が今ある場所なのか、正直言って全くわかりませんでしたが、当然、今回もスルーでした。
少年ジャンプ2冊束ねたような書類を、367人もの全国の被告に送りつけていると思うと、ちょっと可笑しくなりました。
3通目の封筒:T町にある法律事務所から
今回は裁判所でなく、法律事務所からでした。
これはちょっと面倒でした。
スルーでOK!と言うものではなく、実印を押す書類がわんさか入っていました。
細かいことは伏せますが、相続した土地がバラバラに離れているものが多く、親戚同士で、うまく名義を書き換えあって、全員それぞれをまとまった土地にしようぜ!と言う話でした。
会ったことも、聞いたことすらない、親戚らしき人が音頭を取っているようでした。
T町付近にいまだに住んでいる叔母に確認したところ、「その人は、一応任せて良さそうな人よ」とのことでした
「じゃあ、まあいいか」と、何のためで、何が書かれているかもよくわかならない書類にバシバシ押印して、返送しました。
印鑑証明を取ったり、割印したり、書き込んだり、法律の書類って、本当に面倒です。
でも、それから後、今現在に至るまで、なんのリアクションもありません。
次回に続きます。
長くなりますので、今回はここまでにします。
さて、明日は、冒頭に書きました、T町役場からの封筒の話から始まる、これまでをはるかに上回る、自分にとって「とても面倒だったこと」を書かせていただきます。
なお、先ほどの法律事務所に送った書類の件ですが、ずっと後で、そのことを叔母に聞いてみました。
「なんか反対した人が1人いたらしくて、その話は無くなったみたいよ」と言われました。
「なんのこっちゃ?」と思いましたが、土地相続がらみでは、「あるある話」みたいですね。
土地権利者の誰か一人だけが反対して、全部パーになるってことですね。
それでは、また次回!